2010-03-27

大学で書いたレポート。。。が出てきた。

僕も一応、大学というところに行ってました。ドロップアウトしちゃったけど・・・。
どうやらアカデミックなところには収まりきらないみたいです。
でも、ちゃんと?レポートとか書いてたみたいです。
ドキュメントをあさったら出てきたので載せてみます。

まともなこと言ってるように見えますが戯言です。


以下、転載。


「ローカルコミュニティーにおける保健医療福祉のありかたを学ぶ」

ローカルコミュニティー。
これはどんな国にも都市にも町にも存在している。
そこに人が住んでいるなら構成されずはずの一つの集まり、社会の体系を指す言葉である。
これらのコミュニティーには、そこに集う人々の関係において医療、福祉、公衆衛生などの
社会保障的なかかわりや教育、文化、芸術、伝統などの人を築き繋げる役割、消費や生産の
ように需要と供給の関係によって成り立つシステムなどが存在している。

これはいつの時代も、誰かによって構築されなくとも自然と造られて来たコミュニティーにおけるシステムであろう。
人々は誰かに言われるまでも無く、互いに連携し、良く協力し合うものだ。
その場の環境がそうさせる場合もあるが、人間は本来コミュニティーという相互の関係の中で成長し
成熟し生命を営むというサイクルを繰り返してきているからだろう。
必然的に相互の関係は生じるのである。連携ということを考えてみても、それは、ごく自然に
行われて来た人々のコミュニケーションの一つであると考えることが出来るかもしれない。

コミュニティーの中では、自然のうちに、つまり何らかの情報共有のシステムが構築されて
いなくても情報がお互いに共有されている。特に、日本の様な調和を意識する国民性においては、
隣り近所の情報は常に共有されている。現在は、その傾向が薄れつつあるというが学校や職場に
おいても、周りを意識する傾向は和を示す一つの要素と言えるだろう。
これが自分の行動にとって、そして社会にとってその成長と発展を促すものになるかどうかは別だが、
周囲を意識しながら行動することは、和、調和を保つ上で重要なことなのかもしれない。

しかし、なぜこの和、調和、そこから発展して連携というものが保健医療福祉において重要であると言われるのであろうか。
そして、これらは保健医療福祉にとってとりわけ重要なことなのであろうか。
前置きが長くなったが、これらのことについて少し考えてみたい。

自身が感じるには、特に自分の栄養という領域でもあることだが、連携と言いながら何も
連携できていないように感じる。実際に社会に出て仕事をしたわけでは無いが、授業や実習を
やっていて常に感じることは、自分で考え、その考えによって行動することが少ない。
ただ決められたことをその通りにこなす。授業や実習を受動的にこなす。これは、アカデミックの
精神が無いということで解決してしまう方法もあるが、それだけでは片付けることの出来ない
問題のように思うのだ。

何故か。考える力がない。発想する力がない。想像力がない。これは、物事を行う上で
必要となる基礎的な能力が無いのと同じことである。特に、保健、医療、福祉これらの分野は
今後大きく発展しなければ若しくは大きく方向転換を求められる時期が来ることだろう。
その新たな方向性を導き出すのが今、この大学で学んでいる学生たちに課せられている大きな責任だろう。
そうなったとき、従来の方法でしか物事を行えない。つまり、同じことを繰り返す。決められた事を
効率的に行う事において、高い能力を持っていた人でも、これらを大きく発展させる転換させる発想は
生まれる事はないであろう。それらの人には、発想する、想像する。そして自ら行動するという能力が
ないか、若しくは衰退している状態にあるからである。連携とは、自分自身で物事を進んで考え、
新たな発想、創造、能動的に行動する過程の中で生まれてくるものであると確信している。
ただ言われているから、規則だから、ルールだから、そうゆうやり方が方法が確立されているからやる。
これでは何の意味もない。そして、そのような考えでの連携は本当の連携とは言えない。
連携とは一種の繋がりであって、個と個が線によって結ばれるものである。個(自分)、個(他人)が
線という目に見えない引力によって引き合わされる中で生まれる。これがつながりだろう。
個は個でしっかり存在し。また、引き合った個もそれを打ち消しあってはいない。逆に合わさることで、
繋がることで。広がりを見せることも、長さをまして成長することも出来る。それによってより多角的に
物事を見たり、もっと大きな視点で物事を見ることもできるし、見るだけでなく行動するときも
その行動範囲を広げる力となる。

連携に置いて一番大切なことは、繋がること。個を個としてみること。
もしかするとこんなにも単純なことなことなのかもしれない。でも実践するのは中々難しいだろう。
どこから実践していいかわからない。これが現実にあるからだ。
連携を実践しましょう。なんていわれても「何処で」って聞き返したくなる。就職してからとか
何か学んだ知識や技術を使う時が来たらと言うのが一般的な答えかもしれない。でもそれからでは、
いきなり連携しろって言われても連携が出来るわけが無い。今まで連携の概念は知っていても、
実際に連携することを経験していないからである。つまり、繋がり、行動することを経験していないから
できるはずが無い。

じゃいつ経験するのか?

答えは今だ。
この大学生活という最高の時間の中で実践すべきだ。

つまり、学んだことを知識だけでなく活用する。これによって人はその事柄への理解をより一層深め、
自己に浸透させることができるからだ。連携する力は、繋がる力、考える力、発想するちから、創造する力、
そして行動する力だろう。本当の意味での連携はこの身近なところつまりコミュニティーにある。
この町に来た大学生として、そして時間という最高の贈り物を与えられた一人として、
無駄に過ごすことがないようにしたい。

地域における保健医療福祉の連携のあり方も自分たちが今、この地で何をするかによって
今後の方向性が大きく決まってくるのかもしれない。新たな概念が生まれたり、新たなプロジェクトや
ビジネスのあり方が生まれるかもしれない。どちらにしろそれは、今の僕たちが、与えられた時間を
どの様に使うかにかかっている。この町に来た意義、そして僕らがこの大学に来ている意義を考えた時、
ここから行動を起こす必要性を強く感じた。


以上。


とまぁこんな事を書いておきながら肝心な提出期限を守らないという愚行を繰り返した本人であった。
それどころか学校いかなくなるという本末転倒な人生を選んだわけである。(苦笑

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